雑記

【市立祭】近所でお祭りしてたので行ってきました

こんにちは、ヒトシです!

それは昨日のことでした。仕事が終わって家に帰ると、

奥さん「なんかお祭りやってる!明日いこ!!!」

とのこと。そうです。明日は久々の奥さんと休みが一緒の日です。

次休み一緒の日どうしよっかぁ~となかなか決まらず前日まできてしまっていたのですが、奥さんからの一言で決定です。明日はお祭りにレッツゴー(^-^)

お祭りなんて何年ぶりやろ・・・屋台楽しみやなあ( ^ω^)・・・

市立祭(いちだてさい)

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室町幕府菅領細川頼之公が戦勝のお礼参りの時に、石清尾神社の社殿を造営したことから、お祭りが始まりました。その祭りに合わせて、農道具や植木市が立ったのが始まりといわれています。

2日間とも下拝殿にて雅楽を演奏し、市立祭の神事が執り行われます。神社周辺では、奉納綱引き大会やお茶会、大道芸や和太鼓の演奏などが行われ、祭りが盛り上がります。

八幡通りには、植木市や道具市が開かれ、伝統を受け継いでいるようです。

引用:祭の日

香川県高松市で開催されているお祭りです(^^)

お祭りといえば屋台でしょ!

現地に到着・・・

・・・( ^ω^)・・・

・・・( ;^ω^)・・・

祭りってこんなんでしたっけ(^^;)もっと所狭しと屋台が並んでるイメージだったのですが・・・思っていたよりもがらんとしています・・・歩行者天国になっているから余計がらんとしてるように感じます。

コロナ感染拡大防止対策ですかね!あまり人が集まらないように屋台の数を減らしているのでしょう。

気を取り直して屋台メシ食いましょう!!お祭りの屋台メシ好きなんですよねーーー

よくよく考えると多少のぼったくり感は否めないのですが、お祭りで食べるからこそのうまさを感じるんですよね。外で食べてるからなのか、お祭り独特の雰囲気の中食べるからなのか。とにかくお祭りの屋台メシが好きだああああ

まずは何を食べようかなーーー

!?!?!?!?!?

ハンバーグ!?!?!?

皆さんお祭りでハンバーグってみたことありますか!?

これは一般的なのでしょうか・・・?

僕は京都出身なのですが、少なくとも京都のお祭りでは見たことがありません。

結構がらんとしていたこの通り沿いにハンバーグのお店は3つもありました。

屋台メシの一発目は君に決めた!!!

200円!安い!!

から揚げ500円とか、イカ焼き700円とかの中、ハンバーグ200円はかなり安く感じます。

しかもくじで当たれば3コもらえるみたいです。僕が買う前に子どもが並んでいましたが、少ないお小遣いの中からこのハンバーグを選ぶのはよくわかります。200円で3コ食べれる可能性がありますからね・・・!

さて、僕の番です。

なんと。。。

黒が出ました!2コゲットです!!!

お好みソース・ケチャップ・おろしポン酢・マヨネーズからお好きなものを

僕はおろしポン酢とお好みソースを選びました。ハンバーグにお好みソースっていうのもなかなか珍しいですね。。

奥さんと一個ずつ頂きます。奥さんはケチャップ、おろしポン酢、お好みソースです。

200円とは思えないほどおいしかったです!お好みソース意外と合いますねー(^^)

お店の方に聞くと、お祭りでハンバーグっていうのは高松と北九州ではメジャーなようです。

さてお次は、、、

ホルモン焼きそば!
注文してから作ってくれました。あつあつでうまそおおお

噛めば噛むほどホルモンから出てくるうまみと焼きそばソースの甘みが絶妙に絡み合っててうまい!!これぞお祭り屋台メシって感じですねー!

最後はこちら・・・

奥さんお目当てのりんご飴です。お祭りに来ると100パーセント食べてます(笑)

ミカンとリンゴで悩んでいましたが・・・・

選ばれたのは、りんご飴でした。(綾鷹のCM風)

満面の笑みでかじり倒してました(*^-^*)

さてさて、おなかも満たされたところでお参りして帰りましょうか( ^ω^)

石清尾八幡宮

延喜18年(西暦918年)、八幡大神様が亀命山(現在の石清尾山)山上に現れたので、当時の国司が山上に祠を建ててお祀りしたと伝わっています。

石清尾(いわせを)八幡宮の社名の由来は、当時社殿があった赤塔山が亀ノ尾山塊の山裾にあたり、石清水八幡宮の「石清水」と「亀の尾」を一つにあわせて「石清尾」になったと言われています。
古来、この周辺は現在の八幡宮近くまで海であり、亀がたくさん這い上がって来ていたことから「亀命山」や「亀阜」など、亀とつく地名が多く見られます。

南北朝時代には、ここ讃岐を治めていた右馬頭(うまのかみ)細川頼之公が当宮への崇敬の念篤く、戦勝祈願を行います。
従兄弟の細川清氏を破り、伊予の河野氏征伐が成就したことにより、当宮の社殿を改修し、様々な武具を奉納されました。この時(1364年)に右馬頭市(うまのかみいち)が始まり、現在の市立祭へと繋がります。

天正16年(1588年)には讃岐守、生駒親正公が高松城を造営し城下町を整えた際、当宮を府城の鎮護、高松の産土神と定めました。二代目の生駒一正公も当宮社殿を改築し、社領を寄進されました。

江戸時代に入り、寛永19年(1642年)高松藩主となった松平頼重公も当宮を氏神と篤く崇拝し、寛文6年(1666年)社殿を造営し、社領と多数の宝物を寄進されました。
第二代藩主松平頼常公も頼重公の社領寄進を追認し、以後、歴代藩主は代替わりごとに当宮を参拝することになりました。

明治5年には「懸社」に列せられました。

不幸にも、創建後320年に及ぶ本殿をはじめ、幣殿、上拝殿の3殿は昭和61年に焼失しましたが、平成元年に氏子崇敬者の浄財により復興されました。
また平成6年に神輿舎を新築し、平成8年には拝殿前の石段の傾斜緩和、石畳の修復など大規模な境内改修工事を行いました。

以来、高松総鎮守・高松の護り神として多くの人に親しまれ現在に至ります。

引用:高松の氏神さん 石清尾八幡宮

ほうほう。高松の護り神が鎮座しているようです。

風情がありますなあ

お参りしましょう。財布の中には5円がありました。お参りの時ちょうど5円があるとハッピーな気持ちになりません?

何をお願いしたかは、内緒です。。。(^^)

おみくじがありました。ここでもコロナ対策がしっかりされていますね。なにがでるかな♪なにがでるかな♪

小吉でした!

内容は小吉とは思えないくらい良いものでした。今後の自分の動きを分かってくれているかのような内容にちょっとビックリでした。

今日も一日楽しかった!

さあ、帰りますかー!

久々の奥さんとのデート楽しかったです。

明日はまた仕事かーーーー。しんどいなーーーー。

また次の楽しみに向かってがんばろ―――。

コロナでなかなか外に出歩きにくい世の中ですが、感染対策を万全にしながらたまには息抜きをしましょうね。

ではでは✋

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